シャビ・シモンズ

選手紹介
名前シャビ・シモンズ(Xavi Simons)
生年月日2003年4月21日
国籍/出身オランダアムステルダム)
身長168cm
ポジションAMF/CF/CMF
所属パリ・サンジェルマン

※チャビ・シモンズとも表記されるだろう

周囲の過剰な反応を受け止めキャリアを歩み続ける神童

プレー動画

経歴

■2003-2010年(幼年期~CD Thader)

オランダの国内リーグでストライカーとしてプレーしていたレジリオ・シモンズ(1973年生)を父親に持つ彼は、オランダおよびヨーロッパ屈指の大都市である首都アムステルダムに誕生している。7歳年上の兄であるファウスティーノ・シモンズ(1996年生)もサッカー少年として活動していたが成功を収めることなく第一線から退いており、そんなシモンズ家においてサッカーの才能を濃く受け継いだのが弟であるシャビ・シモンズであった。

「シャビエル(Xavier)」という名前はレジリオ(父)とペギー(母)がファンであったシャビ(チャビ)・エルナンデスにちなんで名付けられ、2006年には二人の兄弟を連れてシャビ・エルナンデスの母国であるスペインに移住。スペインに移住した背景については、ペギー(母)の両親がアリカンテ州のロハレスに引っ越しており、夏をロハレスで過ごしていたなかで地域を気に入りながら、父が選手としてのキャリアを終えるタイミングで試しに住んでみたことから始まったそうだ。こうしてスペインにやってきたファウスティーノ(10歳)とシャビ(3歳)の兄弟はロハレスの地元クラブである「CD Thader」にてキャリアをスタートさせている。

CD Thaderにてグラスルーツを過ごしていた彼に対して最初に接触したのはビジャレアルCFであった。6歳ながら3歳上のU9でプレーする環境が開かれたが、父は時期尚早としてそれを好んでおらず加入は実現しなかったという。そこを見逃さなかったのがギジェルモ・アモール(FCバルセロナのグラスルーツ責任者)であり、既にシーズンが始まっていながらもFCバルセロナで試すことを考え母親と一緒にバルセロナに招待すると、そこで当時のプレベンハミン(U7)を指導していたクリスティアン・カテナとの面接を行い、テストをほどほどにしながら早い段階で契約を締結している。2010年(7歳)の出来事であった。

■2010-2019年(FCバルセロナ)

バルセロナは彼が快適に馴染めるように家を探すなどフォローしており、2010/11シーズンが開幕してから約1ヶ月半後にはカテナが率いるプレベンハミンでプレーを開始。そしてベンハミンC(U9)、ベンハミンA(U10)、アレビンC(U11)と順調にカテゴリを上げていくなかで、彼が最初に大きな注目を集めるきっかけとなったのがアレビンA(U12)のシーズンとなっている。

マルク・セラが率いていた当時のアレビンAは彼を始めアレハンドロ・バルデアルナウ・マルティネスに代表される2003年クラスで無類の強さを誇っており、国内リーグ(U12)では27試合を172得点14失点の圧倒的な成績で全勝優勝を達成。彼個人はMICインターナショナルカップで大会MVPに輝き、ラ・リーガ・プロミセス(U12)ではMICでの評価を証明する活躍を見せながら、東京で開催されたU12ジュニアサッカーワールドチャレンジ2015では日本人にも印象的な姿を見せるなど知名度はこの頃から広く知れ渡っていた。

同時期にはバルセロナが18歳未満の外国籍選手の署名によってFIFAから制裁を受けており、彼もオランダ国籍であったことから数ヶ月に渡り調査されるも、前述の経緯でスペインに移住しているため最終的には退団を強いられた仲間たちとは異なり処分対象外となっている。こうして難を逃れた彼は、2016/17シーズンにインファンティルA(U14)で5つのタイトルを制覇しており、2017/18シーズンからはカデテB(U15)に昇格。この昇格を果たしたタイミング(2017年9月)にてミノ・ライオラとの接触が報じられ、彼との関係性が構築されている。

2018/19シーズンはカデテA(U16)に昇格するも、シーズン序盤となる2018年8月に右手首を骨折したことから数週間を離脱。それでもカルレス・マルティネスが率いるチームでも才能を輝かせ、2018年12月にはフベニルB(U18)でもデビューを飾るなど、彼がバルセロナの未来を担うことはファン・サポーターから当然の成り行きであると考えられていただろう。

しかし、当時16歳となった彼には様々な不安要素が取り巻いていた。彼の天才的なセンスとカリスマ性によるリーダーシップは誰もが認めながらも、一部では身長が伸び悩んだことを始め、バルセロナが求める典型的なミッドフィールダーとは異なるスタイル(ボールを長く持ちながら縦方向にプレーしたい意欲)にあったことなどが不安視されていたのだ。

また、同世代のイライシュ・モリバやアンス・ファティをクラブは最重視していたこともあり、彼に対してもフベニルへの昇格とともにプロ契約で好条件を提示していたが、イライシュ・モリバはそれをさらに上回る特別待遇となるなどクラブからの期待値は一目瞭然であった。そのためバルセロナでのプレーに対して前向きではなく、そこにパリ・サンジェルマンからオファーを提示されたことでクラブからの退団を決断している。一部の報道では彼がパリ・サンジェルマンで手にする給与がピックアップされ、お金のために退団したという裏切り者のレッテルが貼られている部分が見られるが、そこはあくまでも契約内容にしか過ぎず、メインはバルセロナでの将来性を見限ったものによるものだろう。

■2019-2021年(パリ・サンジェルマン)

2019年7月、フランスの首都パリに降り立った彼は16歳でのプロ契約とパリ・サンジェルマンのU19チームに登録されることが決定。初年度からUEFAユースリーグやクープ・ガンバルデッラ(U19カップ)といった重要なコンペティションに出場するも、COVID-19の世界的な流行によってシーズンは途中終了となるなど不完全燃焼となった。

それでも再開までは自宅トレーニングで準備を続け、2020/21シーズンに向けたプレシーズンではトップチームも帯同しながら、TRMにて非公式でのデビューも飾っている。そしてリーグ・アン(フランス1部)でもいくつかの試合でベンチ入りを果たしていた彼は、2021年2月のクープ・ドゥ・フランス(国内カップ)3回戦のSMカーン戦にてトップデビューを達成した。また、2021年4月にはストラスブール戦にてリーグ・アンの舞台も経験している。

2021/22シーズンはプレシーズンから好印象を残すも、トップチームの戦力としてはまだ数えられずに引き続きU19カテゴリで準備を続けているところだ。UEFAユースリーグでの活躍は目覚ましいものがあるため、ここでアピールを継続したいがパリ・サンジェルマンからの退団説が報じられるなど再びキャリアの分岐点に彼は立っている。

代表歴

父親にルーツのあるスリナムを代表する権利を持ち、2018年には代表招集に向けて交渉を試みたことが明らかとなっているが、多くの可能性を秘めていたこともあり実現には至ってない。そして彼は2018年2月よりオランダU15でデビューするようにして世代別代表をオランダ代表として選択している。

谷間の世代であるためU17ワールドカップといった大舞台での出場経験はないが、2003年クラスを主将として牽引しながら、2021年10月にはオランダU19でのデビューを達成。そのデビュー前の2021年9月にはマルタとベニータが宿舎に女性を連れ込んだことがCOVID-19のプロトコル違反となり、そこでの騒音が気になり部屋に様子を見に行ったシャビ・シモンズを始めとする3選手も外部接触と判断されたことで代表から離脱を強いられている。そんな事態もあったが、現在はU19欧州選手権予選をプレーしているなど特に影響なく世代別代表でプレー中だ。

移籍の噂

2019年夏にパリ・サンジェルマンに加入した彼は、2022年6月末に3年契約を終えることから移籍に関する噂が盛んに報じられている。大きな要因としては指揮官であるマウリシオ・ポチェッティーノの計画に組み込めるほどの成熟がないという話だが、クラブとしては2022年夏から彼にトップチームに昇格することを望んでいるという姿勢であるため、彼の選択には大きな注目が集まるだろう。

彼に関する移籍としてはバルセロナの所属時にチェルシーの名前が挙がっているが、今回のタイミングでは古巣のバルセロナやマンチェスター・シティ(イングランド)、レンジャーズ(スコットランド)のほか、ブンデスリーガのクラブも関心を寄せているという。とはいえ、来夏の時点では19歳という年齢であることからもリオネル・メッシを始めとする世界最高峰の選手に囲まれながら学ぶことも遠回りではないだろう。

プレースタイル

幼い頃はNo.6として中盤を支配しながらチームにリズムを与える役割を主にしていたが、現在(パリ・サンジェルマン)はポジションの幅を0トップ/偽9番までに広げており、自身の価値を証明するためのポジションを模索している。父は183cmの身長を持っていたが、彼は18歳で168cmと伸び悩みを見せており、本来であれば体格面での成長も合わさりながらキャリアを進めることが想定されただけに足踏み状態となっているのが彼の現状だ。

ただ、こうしたハンディを卓越したボールコントロールとセンス(インテリジェンス)で補って余りある姿を見せ、バルセロナでは求められていなかったボールを長く保持しながら縦方向に推進していくスタイルも彼の大きな武器といえるだろう。ここまでが彼の身体的特徴や技術的な部分であるが、最大の特徴はそれらではなく圧倒的なカリスマ性とモチベーターとしてのキャプテンシーにある。

印象的なカーリーヘアーをなびかせ、ピッチ上で見つけることが容易な彼であるため、Instagramでは14歳で100万人、現在は374万人のフォロワーを誇るなど絶大な人気者であった。こうした注目によるプレッシャー(批判も含む)を長きに渡って受け続け、そしてフットボールに消化していた生活は常人では想像ができないものであり、彼の精神的な成熟がなければ早々に壊れていたはずだろう。それでも自身がピッチ上で闘争本能むき出しにボールを追いながらファイターとしての一面を見せ、バルセロナでも各カテゴリのカピタン(主将)としてチームを鼓舞するモチベーターの役割も担うなどユース内における影響力は同世代の選手に比べてダントツで抜きん出ていることは確かであった。

トップカテゴリでは彼が主人公ではなく周囲に溶け込むことが必要な立場であるため、ユースカテゴリのような影響力は当然だが現時点では与えることができない。フィジカル面で障壁がありながらもトップチームに適応するための努力を続け、適切なポジションやチームスタイルを見つけ出すことができれば彼のキャリアは大きな進展が見られるだろう。どうかユースカテゴリ専用といった評価を持ち前のポジティブな姿勢で覆していただきたい。

タイトルとURLをコピーしました