名前 | ジュリアン・アラウホ(Julián Araujo) |
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生年月日 | 2001年8月13日 |
国籍/出身 | メキシコ(ロンポック) |
身長 | 175cm |
ポジション | RSB |
所属 | ロサンゼルス・ギャラクシー |
※Julianはフリアン、Araujoはアラウージョとも表記される
ルーツのメキシコ代表に切り替えたLAの俊英サイドバック
プレー動画
経歴
■2001-2018年(幼年期~バルサ・アカデミー)
アメリカ合衆国・カリフォルニア州の都市であるロンポック。「芸術と花の街」とも呼ばれるようなこの街にてジュリアン・アラウホは誕生した。両親は共にメキシコからの移民であり、父親のホルヘは10代ながら家族を養うためにアメリカで畑仕事(レタス栽培)にありつくと、農家の娘であった母親のルーペとの間に生まれた3兄弟の末っ子が彼であった。父親は英語が分からないまま最低賃金で働き、両親が天候に関係なく畑に向かう姿を幼い頃から見ていた彼は後のプロサッカー選手となった今でも鮮明に記憶しており、こうしたバックグラウンドから地元のロンポックへの支援を現在でも続けているという。
周囲にはクラブ・アメリカ、グアダラハラ、クルス・アスルのファンが多かったことから幼い頃からメキシコのサッカーを見て育っており、4歳で地元ロンポックのAYSO(全米ユースサッカー協会:非営利団体)によるプログラムに参加したことでキャリアをスタート。その後、8歳からの3年間をセントラル・コースト・コンドルズで過ごし、12歳からはサンタバーバラSCにてMLSの青少年育成プラットフォームに沿って多くのプロ選手を輩出した環境に身をおいていた。
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サンタバーバラでは右サイドハーフを主戦場としていたが、アメリカU16代表に招集された際にセンターバックで起用されたことから、サンタバーバラのテクニカル・ディレクターであるルディ・イバラ氏は彼が将来的には右サイドバックになるだろうと考え、3歳上の1998年カテゴリに組み込むことで才能を開花させることを目論んでいた。これが現在のポジションに繋がった経緯であり、15歳になるとFCバルセロナ(スペイン)の国外アカデミーであるバルサ・レジデンシー・アカデミーに加入している。
バルサ・アカデミーに加入した当初からショーン・マカファーティー氏(元アカデミー監督)は「彼は最初から次のレベルにある選手だと分かっていた」と語るほどの才能を見せており、ここで多くのスカウト陣からアプローチを受けたことでプロとしての道が開いていた。そんな彼でも精神的に落ち込んでいた時期は訪れており、16歳でラ・マシア(FCバルセロナの下部組織)での研修を受けることが決まっていた飛行機の出発間際に、この研修を勧めてくれた親友のマイケル・テイラーが死体で発見されたことを伝えられたほか、6ヶ月後には父親がガンの酷い状態(後に過酷な闘病生活の末に克服した)にあることが告げられるなど、これらの出来事は彼自身が早急にプロになることを意識付けられたものとなっている。
■2018-2022年(ロサンゼルス・ギャラクシー)
2017年3月にはカリフォルニア大学サンタバーバラ校(ガウチョ:学内チームの総称)からの誘いに対して口頭合意を行い、そのまま2018年から大学サッカーに移行する予定であったが直前で現在のロサンゼルス・ギャラクシーとの契約に合意。2018年10月のUSLC(アメリカ2部)第30節のシアトル・サウンダーズFCⅡとの試合にてリザーブデビューを飾ると、わずか2試合での出場であったが2019年シーズンよりトップチームに昇格することが決定した。
WE RUN LA MY ’s!!!! pic.twitter.com/M7O8LgnXaA
— Julian Araujo (@julian__araujo) May 11, 2021
2019年3月に行われたMLS(アメリカ1部)第3節のミネソタ・ユナイテッドFCとの試合にてトップデビューを飾り、出場機会はまばらであったが7試合でのフル出場もこなし、第20節のロサンゼルスFCとのロサンゼルス・ダービーではズラタン・イブラヒモヴィッチへのアシストを記録するなど初年度を20試合(1070分)1アシストの成績で終えている。
2020年シーズンはCOVID-19の影響で第2節を最後に約5ヶ月の中断を強いられたが、再開後の第4節となるロサンゼルスFC(ロサンゼルス・ダービー)では2アシストで再び勝利に貢献。その後も主力級の扱いにて過ごしていたが、クラブは2017年シーズン以来となる暗黒期に陥っており、リーグ戦を10位で終えるだけでなく彼自身も第12節までの9試合で7枚の警告と2回の退場となってしまうなど周囲からもプレーの激しさに不安の声が聞こえるようになっていた。2021年シーズンに入るとシーズン序盤から不動の右サイドバックとして君臨しており、2試合を覗いた全32試合に出場しながらキャリアハイの6アシストを記録。警告は8枚となっているが、退場は避ける成長も見せている。
代表歴
2017年より始まった世代別代表ではU16から常にアメリカ合衆国を代表しており、16歳でU18に名前を連ねるなど飛び級での招集が当然のような選手であった。U20ではU20北中米カリブ海選手権の優勝を17歳で経験し、続くU20ワールドカップ2019にも3歳上のカテゴリながら17歳でメンバー入りを果たしている(同大会ではセルジーニョ・デストがいたこともあり出場には至っていない)。
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2020年2月にはアメリカA代表に初招集を受け、そこから10ヶ月後の同年12月にはエルサルバドル代表との親善試合にてフル代表デビューを飾り、同試合では初アシストも記録した。これらの流れからフル代表でもアメリカを代表すると思われていた彼であったが、いつからかメキシコ代表に衣替えするのではと噂されており、その噂通りにFIFAへの代表切り替え申請を経て自身のルーツであるメキシコ代表に変更。2021年12月のチリ代表との試合にでメキシコ代表デビューも飾り、メキシコへの忠誠を誓っている。
移籍の噂
ロサンゼルス・ギャラクシーとは2025年12月末までの契約を残している。欧州に行く可能性も少なからずあるが、それ以上に代表選択したメキシコのクラブからの関心は熱く、チーバス・グアダラハラはなかでも積極的だ。2022年1月時点では「ロサンゼルス・ギャラクシーでの最後のシーズンになるかは分からない、私には目標と野心があり、より高いレベルのリーグでプレーすることを夢見ている。ヨーロッパに行くことが私の目標で夢だ。」と語っていることからも退団の可能性も報じられた。
プレースタイル
かつてはサイドハーフとしての名残りで攻撃的な選手として知られていた彼だが、現在では1vs1でのアグレッシブな守備を中心としたディフェンス面でも成長を見せている右サイドバックとなっている。175cmと身長は高くないが運動神経が卓越しており、フィジカルコンタクトでも簡単に倒れない粘り強さ、中盤へのシンプルなつなぎ方やスペースの取り方といったサイドバックとして求められる基本動作も問題ないレベルにあるだろう。ただし、警告の多さは不安要素の一つだ。
攻撃面では機会を逃さない攻撃参加でサイドの深い位置まで侵入し、そこからのピンポイントクロスで決定機を演出することを得意としている。また、地元ロンポックの農業労働者が山火事の影響でも畑仕事に出ざるを得ない状況や低賃金問題にも10代の頃から当事者意識を持っており、具体的に両親を通じて支援を行うなど義理人情に厚い性格も特徴となっている。