ジョアン・ゴメス

選手紹介
名前 ジョアン・ゴメス(João Gomes)
生年月日 2001年2月12日
国籍/出身 ブラジルリオデジャネイロ)
身長 176cm
ポジション CMF
所属 CRフラメンゴ

祖父との絆をタトゥーに刻んでいるフラメンゴの逸材

プレー動画

経歴

■2001-2022年(幼年期~フラメンゴ)

ブラジル連邦共和国における世界有数のメガシティであるリオデジャネイロ州。彼が育ったのは同州のノースゾーンにあるラモスであり、家族全員がフラメンギスタ(フラメンゴのファン)という背景から母親のモニークが産婦人科を後にする際には叔父がフラメンゴのファンソングを流したエピソードを持っているほどの熱狂ぶりであった。

そんな彼は母親(モニーク)と祖父のミリーニョの3人で暮らしており、7歳のときにピシナン・デ・ラモス(公園)で行われたサッカースクールのプロジェクトによるヴァスコ・ダ・ガマとの親善試合にて、そのままヴァスコから才能を見出されるようにして加入。しかし、フラメンゴのファンであった彼はクラブに馴染むことができず、度々母親に対してサン・ジャヌアリオ(ヴァスコのホームスタジアム)に行かない言い訳を考えていたという。

そのため、わずか4ヶ月の短い期間にてヴァスコから退団しており、その後に友人を通じてファルカン(フラメンゴのコーチ)がセッティングした入団テストに合格したことで、2009年(8歳)から憧れのクラブであるフラメンゴの一員になることが叶っている。

憧れのフラメンゴであったがクラブでのトレーニングを続けることは大変であり、こうした状況を支えていたのがアマチュアチームでコーチを務めたこともある祖父の支えであった。祖父は娘であるモニークに「ジョアンがプロ選手になることは分かっている」と語り、才能を信じていた孫のトレーニングに付き合い続け、練習場までのバスでは食事の時間もなかったことからバス停でご飯を食べることも強いられるなど多くの困難があったという。そんな祖父は2019年の夏にこの世から去っており、ジョアンは祖父への感謝も込めてマラカナンに向かうバス停で祖父に手を引かれている幼き自身の姿をタトゥーにして刻んでいる。

https://www.instagram.com/p/B0ZyRozA-PK/ @joaogomes.01

2019年5月にフラメンゴとの最初のプロ契約を締結すると、18歳で挑戦したフラメンゴU20では37試合で3得点の成績で全国選手権や州選手権、スーペルコパといった5冠に大きく貢献しており、COVID-19のパンデミック明けにはジョルジェ・ジェズスの指揮下にあったトップチームのトレーニングにも参加。2020年10月にはコパ・リベルタドーレスのアトレティコ・ジュニオール(コロンビア)戦にてトップデビューを飾り、9日後にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエA(ブラジル1部)のサンパウロ戦にてフル出場も果たした。

2020年のセリエA連覇も経験しつつ、2021年シーズンでもスターターとしても起用できるほどの戦力として数えられており、既にフラメンゴのトップチームでは52試合に出場しているなどブラジル屈指の強豪クラブにおいて目覚ましい成長を続けているところだ。

代表歴

世代別代表では印象的な姿は見せておらず、ブラジルU20への招集歴のみに留まっている。

移籍の噂

フラメンゴとは2025年12月末までの契約を締結している。2022年冬の移籍市場ではUAE(アラブ首長国連邦)のアル・アインから約450万ユーロのオファーが提示されているが、フラメンゴおよび指揮官のパウロ・ソウザは彼を手放すことは好んでいなかったことから拒否。そんなアル・アインは2021年夏にも獲得に動くなど積極的な姿勢を見せているという。

 

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代理人はカルロス・レイテ・スポーツが務めており、パウリーニョタレス・マグノといった逸材もマネジメントしているなどコネクションは豊富だろう。彼自身のヨーロッパに対する憧れや意向は分からなく、そもそも熱狂的なフラメンギスタの家庭に育っていることからも移籍に対しては前向きではないのかもしれない。

プレースタイル

中盤を主戦場とするセントラル・ミッドフィールダー。176cm/71kgの安定したボディバランスが特徴的であり、非凡な足元のテクニックも持っていることから簡単に倒れないボールキープ力で中盤の難しいエリアでもプレーすることが可能。また、ボールの奪取技術にも定評があり、空中戦には強くないが地上での1vs1では鋭い読みから攻撃をシャットアウトする。

安定的なパス成功率で攻撃のリズムを崩すことなく遂行できる彼は、ボックス外からの力強いシュートも秘めている。母親が語るように10代の頃は友人らとのパーティなどを諦め、常にプロ選手になることだけを考えていたという勤勉さと献身性はこれまでのストーリーからも感じさせるだろう。

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