アマル・デディッチ

選手紹介
名前アマル・デディッチ(Amar Dedić)
生年月日2002年8月18日
国籍/出身ボスニア・ヘルツェゴビナツェル・アム・ゼー)
身長180cm
ポジションSB
所属レッドブル・ザルツブルク

トップクラスになれる要素を備えたボスニアの俊英

プレー動画

経歴

■2002-2015年(幼年期~シュトゥルム・グラーツ)

オーストリア共和国・ザルツブルク州にあるツェル湖の湖畔で栄えてきたツェル・アム・ゼーに彼は誕生した。同地域はスキーリゾートも楽しめる豊富な観光資源を持った美しい街として知られているが、彼自身のルーツはバルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナにあるという。両親はどちらもボスニア人(父親はグラチャニツァ、母親はプルニャヴォルの出身)であり、2022年のワールドカップに伴う中断期間にはボスニア・ヘルツェゴビナにも訪れるほどルーツを重要視している。

ツェル・アム・ゼーからは物心がつく前に離れており、家族は多くのボスニア人が住んでいる大都市のグラーツに居を構えると、兄の影響で6歳(2008年)から『LUVグラーツ』という小さなクラブにてキャリアをスタート。当時からミニ・メッシといったような存在感を放ち、年上の少年を相手にプレーするなど際立っていたことから、10歳の誕生日にあわせてグラーツを代表する『SKシュトゥルム・グラーツ』の下部組織に加入している。

シュトゥルム・グラーツでプレーすることで大きなステージでの注目を集めるようになると、当時13歳の彼に目をつけたのが現在のレッドブル・ザルツブルクであった。多くの時間を過ごしたグラーツからザルツブルクまでは直線距離で約250kmも離れており、年齢的な部分も含めて家族から離れることへの決断は困難ながらも、欧州屈指の育成機関で成長できる機会を選び、2015年にザルツブルクへと渡っていた。

■2015-2022年(RBザルツブルク)

当時はウィングを主戦場としていたが、徐々にサイドバックが適正ポジションとして考えられながらディフェンダーへ移行しており、16歳となった2018/19シーズンにはU18カテゴリだけでなくファームクラブ兼セカンドチームの『FCリーフェリング』にも帯同。2019年8月に最初のプロ契約を締結し、プロとして最初のシーズンとなった2019/20シーズンにはリーフェリングおよび2.ブンデスリーガ(オーストリア2部)での本格的な挑戦が始まっていた。開幕節のSKUアムシュテッテンにて早々とプロデビューを飾り、左右両方のサイドバックを起用にこなしながら貴重な戦力として定着するだけなく、片手間で参加していたUEFAユースリーグでは準決勝進出の原動力にもなるなど、17歳で過ごしたシーズンは充実したものとなっている。

2020年9月のOFBカップ1回戦ではレッドブル・ザルツブルクのトップデビューを果たすも、2020/21シーズンもまたリザーブチームで過ごしていたことで大きな変化はなく、ラスムス・クリステンセンと主将のアンドレアス・ウルマーが君臨する牙城を崩すまでには至らなかった。こうした背景もあり、2021/22シーズンは同ディビジョンのクラブである『ヴォルフスベルガーAC』に出場機会を求めて期限付き移籍にて加入。この武者修行が彼の市場価値を高めるきっかけであった。

 

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オーストリア・ブンデスリーガ(オーストリア1部)でのデビューはヴォルフスベルガーの在籍時で経験したものであり、加入1年目のローン選手ながらリーグ戦の全試合でスターティングメンバーとして出場。OFBカップの準決勝進出にも貢献するなど、オーストリア国内のトップリーグで闘えることを直接対決も含めて証明していた。この活躍とラスムス・クリステンセンをリーズ・ユナイテッド(イングランド)に売却したことによる後釜候補として2022/23シーズンでの復帰を実現させている。

そんな今季(2022/23シーズン)は期待通りにラスムス・クリステンセンが抜けた穴を埋めており、2022年9月にはACミラン(イタリア)戦にて夢見ていたUEFAチャンピオンズリーグの舞台を経験。グループラウンドの全6試合でフル出場するなど、今後のキャリアを左右する重要なシーズンを過ごしているところだ。

代表歴

代表キャリアにおいては生まれ育ったオーストリアではなく、一貫してルーツのあるボスニア・ヘルツェゴビナ代表を彼は選択している。代表デビューは2017年4月にサラエボで開催されたトーナメントであり、当時14歳ながらボスニア・ヘルツェゴビナU16としてプレー。U17では主将としてチームを牽引し、そこからは17歳でU19、18歳でU21と飛び級でユースカテゴリを通過していた。

ヴォルフスベルガーで不動のレギュラーに君臨していた2022年3月には、イヴァイロ・ペテフが率いるボスニア・ヘルツェゴビナのフル代表でのデビューを19歳7ヶ月の若さで達成。2014年に初めてのワールドカップ本大会への出場を果たして以降で成績が振るわない代表において、再び主要大会に出場するためにも彼が重要な存在となるだろう。

移籍の噂

レッドブル・ザルツブルクとは2024年6月末までの契約を残しており、現時点における市場価値は1000万ユーロ(Transfermarkt)とそれなりの評価を受けている。2023年1月の移籍市場が近づいているが、特に移籍に関する噂は報じられておらず水面下でリサーチされている状況だろう。代理人はロベルト・フィルミーノやマルセル・ザビッツァーなどをクライアントに持つ『ROGON(マネジメント会社)』が務めている。

プレースタイル

右利きの彼は右サイドバックを本職としつつも、左サイドバックでの経験値も高く、さらにはセンターバックでもプレーできるなど4バックの全てをこなせるポリバレントな選手だ。180cm/74kgの均整の取れたフィジカルバランスと、元々はウィンガーであったことが背景にあるアグレッシブかつタフに闘えるプレースタイルで攻守においての貢献度が高い。

両サイドでのプレーを実現させている逆足(左足)精度の高さも武器であり、ハーフスペースに対してボールを動かしながら攻撃のスイッチを入れることも得意とする。サイドバックとしては異質なシュートセンスを持つだけでなく、ディフェンダーとして求められる対人戦の強さも足の速さも含めて魅力的であるなど、磨けばトップクラスとなれるポテンシャルを持った才能だ。

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