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オスカル・ピエトゥシェフスキ

名前 オスカル・ピエトゥシェフスキ(Oskar Pietuszewski)
生年月日 2008年5月20日
国籍/出身 ポーランドビャウィストク)
身長 179cm
ポジション LWG
所属 ヤギエロニア・ビャウィストク

※Pietuszewskiはピェトゥシェフスキとも表記されるだろう

ヤギエロニアが誇る恐れ知らずの新星

プレー動画

経歴

■2008-2025年(幼年期~ヤギエロニア)

ポーランド北東部の主要都市ビャウィストク、多民族が交わる街の空気の中で育った少年がオスカル・ピエトゥシェフスキだ。サッカーの出発点は地元のアカデミヤ・ピウカルスカ“タレント”。幼い頃から視力に問題を抱え、エドガー・ダーヴィッツのようにゴーグルをかけてボールを追っていた。6歳にしてすでに上の世代とプレーし、最初の指導者ラファウ・ムチニンスキがヤギエロニア・ビャウィストクへ移ると、彼も仲間とともにクラブへ渡っている。才能の輝きは、出発点からすでに明らかだった。

Oskar Pietuszewski

https://www.laczynaspilka.pl/puchartymbarku/aktualnosci/xxiv-edycja/talent-niejedno-ma-pochodzenie-skad-sie-wzieli-najzdolniejsi-kadrowicze

その一方で、自分の思い通りにならなければ反抗的な態度を示す少年でもあった。父親のいない家庭環境が影を落としていたとも言われる。だがクラブは彼を単なる問題児と断じることなく、勝利にこだわり涙を流す姿の奥にある勝者のメンタリティを信じ、時間をかけて支え続けた。やがてその気性は挑戦を恐れぬ気質へと形を変え、成長の礎になっていった。

小学生年代でポドラシェ地方の得点王を獲得し、13歳でナショナルキャンプに参加。翌年にはポドラシェ選抜としてU14トーナメントの得点王とMVPを同時に手にする。国内でも注目の逸材と目されるようになった矢先、前十字靭帯断裂という重傷が彼を襲う。誰もがキャリアの行方を案じる中、彼は驚異的な回復を遂げ、失ったものよりも強さを増して戻ってきた。

 

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2023/24シーズン後半にはヤギエロニアU19で8試合に出場し、3得点4アシスト。数字以上に、逆境を乗り越えた逞しさを見せつけた。そして2024年8月、ヨーロッパの舞台で大きな節目を迎える。UEFAヨーロッパリーグのプレーオフ、相手はアヤックス。2ndレグで既に突破は非現実的な状況ではありながらもわずか16歳でトップチームデビューを果たしている。続く12月にはポーランド1部リーグでの初出場を記録し、キャリアの階段を着実に上っていた。

ウィンターブレイクを挟んでチームに定着すると、前回王者という環境の中でも存在感を発揮。リーグ連覇には届かなかったが、ポーランド・スーパーカップのタイトルを手にし、グールニク・ザブジェ戦でトップ初ゴールも決めるなど、2024/25シーズンは彼のキャリアの輪郭を鮮明に描き出すシーズンとなった。

代表歴

ポーランド代表としてのキャリアもまた、着実に階段を上ってきた。最初の招集は2022年8月、まだ14歳にしてU15代表の一員に名を連ねた。翌2023年8月にはポーランドU17でデビューを果たし、2024年5月のU17欧州選手権ではグループステージで1ゴール1アシストと存在感を示したが、準々決勝でポルトガルに敗れ大会を後にしている。

それから1年余り、2025年9月には17歳にして早くもU21代表にステップアップ。U21欧州選手権予選でデビューを飾ると、アルメニア戦では前半途中のアクシデント交代で急遽ピッチに立ち、2ゴール1アシストと3得点に絡む鮮烈なパフォーマンスでチームを勝利へ導いた。若さを理由に語れない決定的な影響力を、この舞台でも証明してみせている。

移籍の噂

ヤギエロニアとは2027年6月+1年間の延長オプションを結んでいる状況だが、彼自身は国内だけでないヨーロッパレベルでの選手になることを目標としている。既にチェルシーやアンデルレヒトが問い合わせをしていると報じられているが、現時点では具体的な動きにまでは至っていない。特定のクラブに対しての憧れは公言していないが、恩師であるリシャルト・カラルスがエティハド・スタジアムの写真を添えて「いつかここでプレーしてくれるといいな。」と送った際に、その返信として「でも僕はカンプ・ノウの方が好きだよ。」と返したエピソードは残されている。

プレースタイル

彼を強調する一言は『キャラクター(個性・性格)』であり、多くの才能ある選手がこの特性を十分に備えていなかったことで埋もれてきたとリシャルト・カラルスが語るような資質を彼は備えている。幼い頃はピッチ上での失敗が試合中のメンタルにすぐに影響してしまうような弱さを問題点として抱えていたが、トップチームでは恐れ知らずで図々しさも感じるほどの個性で果敢にドリブルでの突破を試行しており、たとえ3回止められたとしても4回目で決定的な仕事に繋げるなど不屈の意志と精神を持つような選手へと成長を遂げている。

技術的なスキルは当然のこと、身長は179cmだが対人戦での強さを含めた身体面でもトップカテゴリで勝負できるほどの成熟性を誇っており、上記で触れた恐れ知らずの性格にてポーランド国内の屈強な選手らと渡り合っている。どのような場面においてもアクセル全開でアグレッシブに挑み、攻守ともに攻撃的なスタイルで関与しながら勝利を目指しているが、そんな彼の最適なポジションについては議論が残されている。

ヤギエロニアのトップチームでは主にウィングとして起用されているが、過去の指導者らは最適なポジションとして9番かセカンドストライカーになるだろうと予想しており、ピッチ上で可能な限りの自由を与えられたときに今よりも最大の利益をチームにもたらすだろうと称している。

小ネタ

愛称はOski(オスキ)。

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