フラヴィウス・ダニリウク

選手紹介
名前フラヴィウス・ダニリウク(Flavius Daniliuc)
生年月日2001年4月27日
国籍/出身オーストリアウィーン)
身長188cm
ポジションCB/SB
所属OGCニース

レアル・マドリードでのいじめをアラバに救われた期待の大器

プレー動画          

経歴             

■2001-2011年(幼年期~ラピド・ウィーン)

彼の両親はチャウシェスク大統領の共産主義かつ独裁政権の渦中にあったスチャヴァ(ルーマニア)からオーストリアに逃れた移民であり、そのため彼はルーマニア系オーストリア人としてウィーンに生まれている。幼い彼は病弱な子供であり、2歳の頃には心室に9mmの穴が空いていることが発覚するなど窒息死のリスクがあったという。なんとか手術は成功したが免疫力が弱く肺炎ですら致命的な死の可能性を起こすと告げられ、医師から寒さが訪れる秋と冬はサッカーをすることを禁じられていた。双子の兄であるダニエルとマヌエルもプロサッカー選手であるなどサッカーが身近な存在であったことから、彼にとっては辛い診断であったが、父の知人が天然物を勧めたことにより、半年後には完全回復するなど奇跡のような出来事で今の彼が存在している。

その後、国内の古豪クラブであるFCアドミラ・ヴァッカーの下部組織にてキャリアを始めた彼は、ユーストーナメントで旋風を巻き起こし、11試合で50得点という驚異的な成績でオーストリア国内での評価は獲得。そのため、次の所属先であるラピド・ウィーンには異例の入団テストなしで加入しており、当初はチームメイトの親から疑いの目で見られていた。そんなラピド・ウィーンでは、わずか1年間の在籍期間でスペインの名門レアル・マドリードからバルデベバス(クラブのトレーニング施設)でのテストに招待され、350人の子供が参加する中で彼を含む2人だけの合格が言い渡されたという。こうして2011年(9歳)からスペインでの生活が始まった。

■2011-2015年(レアル・マドリード)

しかし、スペインでの生活は彼にとって苦痛であり、試合では得点にアシストと勝利に絡むような活躍を残していたが、ピッチ外での大きな問題を抱えていた。いじめだ。一部の報道によるとPlayStationで遊んでいた際に年上のプレーヤーと口論になり、そこで暴力を受けたような話が広まったことから彼はレアル・マドリードから離れたいと思っていたという。両親はウィーンに住んでおり、10代前半の彼は一人で問題に対処しなければならずホームシックは加速していった。そのため、幼いながらFCリーフェリング(オーストリア)やDFIバート・アイブリング(ドイツ)といったスペイン国外のクラブに期限付きで加入するなど恐怖を取り除くような配慮をされている。

そんな彼を救ったのが何を隠そうダヴィド・アラバであり、2011年に当人の父親同士が知り合ったことをキッカケに、2013年冬のクリスマスにダヴィド・アラバをパーティーに招待したという。既にトップチームでプレーしているような選手に励まされるだけでなく、バイエルン・ミュンヘンとの繋がりを提供されたことで2015年1月にバイエルン・ミュンヘンの下部組織に移籍することが決定した。

■2015-2020年(バイエルン・ミュンヘン)

15歳でバイエルンU17でのデビューを飾ると、B-ユニオーレン・ブンデスリーガ(ドイツU17リーグ)決勝トーナメントでは左サイドバックとして全試合出場し、優勝に貢献。翌2017/18シーズンには飛び級でU19チームにも組み込まれ、U17と平行しながら経験を重ねていた。シーズン終盤は筋肉系の負傷で離脱したが、2018/19シーズンはバイエルンU19に正式昇格を果たし24試合に出場している。

18歳となった2019/20シーズンはバイエルンU19の主将を担うようになり、A-ユニオーレン・ブンデスリーガ(ドイツU19リーグ)の地域ラウンドでは昨年の4位から優勝に導くなど不動の存在感を示していた。また、2019年7月26日には3.LIGA(ドイツ3部)に所属するバイエルン・ミュンヘンⅡ(リザーブ)において、KFCユルディンゲン05戦でのシニアデビューも飾っている。

■2020-2021年(OGCニース)

2020年夏にバイエルン・ミュンヘンとの契約期間を終えるタイミングにて、彼は自身のキャリアについて考えていた。バイエルンとしては彼を維持したい意向を持っていたが、彼はトップチームでプレーすることにこだわっており、若いタレントの積極的な起用をビジョンに掲げるフランスのOGCニースに加入することを選択。2020年9月のリーグ・アン(フランス1部)第4節のパリ・サンジェルマン戦にて移籍後初デビューを飾った。

シーズン序盤は出場機会も限られていたが、チームの主将であるダンテの長期離脱と、指揮官であるパトリック・ヴィエラが解任されたことでチーム内の序列を逆転。新たに就任したアドリアン・ウルセアは彼をセンターバックの代役に抜擢し、第13節からの10試合連続でフル出場を果たしている。それでも10試合でわずか2勝に留まっていたことから、クラブは冬の移籍市場でウィリアム・サリバ(アーセナル)とジャン=クレール・トディボ(バルセロナ)という二人の有望株を補強しており、その二人とポジション争いでセンターバックとしては苦戦しているが、代わりにサイドバックでの出場機会を増やすなど共存可能な姿を見せている。

代表歴            

2015年にオーストリアU15に招集されて以降、すべての世代別代表カテゴリを通過しており、2021年3月にはオーストリアU21でのデビューも飾っている。両親がルーマニア人であるため、ルーマニアを選択することも可能であるが、国内のマフィア問題が解決されない限り招集には応じないことを2014年に父親が表明しており、現在に至るまでルーマニアに招集されることはなかった。彼としても恩人であり兄とも慕っているダヴィド・アラバと共にオーストリアを牽引したいところだろう。

移籍の噂           

OGCニースとは2024年6月末までの契約を残しており、当面はフランスでのプレーに集中するだろう。彼にとって忘れたい過去のあるレアル・マドリードへダヴィド・アラバは移籍する可能性も高いが、彼自身はトップチームで共演したいと夢見ていることが予想できるため、過去の出来事を堪えスペインに渡る可能性もあるのだろう。

プレースタイル        

オーストリアでの少年期やレアル・マドリードではチームの中心的なエースといった攻撃的な選手であったが、バイエルン・ミュンヘンの移籍を機に守備的なポジションへとコンバートされている。当時から身長は頭一つ抜き出ていた彼は、現在は188cmまでに成長しており持ち前のテクニックを活かしながら守備を統率するバランスの良いディフェンダーだ。センターバックのほか、サイドバックでも起用が可能であり、まさにダヴィド・アラバをモデルケースとするようなスタイルだ。

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