名前 | カルレス・アレニャ(Carles Aleñá) |
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生年月日 | 1998年1月5日 |
国籍/出身 | スペイン(マタロー) |
身長 | 180cm |
ポジション | CMF |
所属 | FCバルセロナ |
成長著しいバルセロナの新たな大器
プレー動画
経歴
カタルーニャ州の沿岸部にあるムニシピ(基本自治体)のマタローにて彼は誕生した。父はかつてサッカー選手としてのキャリア歴を持つフランシスコ・アレニャ、母は地元のマタローに野菜を中心とした料理店を持っていることで知られている。その後アルヘントーナに移り住むと2005年、7歳でバルセロナの入団テストに合格し、ラ・マシアでのプレーをスタートさせた。下部組織では常に最高の選手として数えられており、キャプテンとしてチームを牽引してきた経歴を持つ。そんな彼に対しては、往年の名選手であるディエゴ・マラドーナとヘアースタイルが似ているということもあり、マラドーナの愛称でもある「Pelusa(ペルーサ)」とも呼ばれていたそうだ。
ラ・マシアで輝かしいプレーをしていた彼は、2015-2016年シーズンよりバルセロナB(セカンドチーム)へと昇格を果たす。2015年8月29日に行なわれたセグンダB(スペイン3部リーグ)第2節のCFポブラ・デ・マフメトとの試合でプロデビューを飾った。同シーズンはリーグ戦の一方でUEFAユースリーグに臨むバルセロナU-19にも参加しており、そこではチームに欠かせない存在として準々決勝で敗れたものの8試合に出場し6得点を記録している。2016年2月のコパ・デル・レイ、バレンシアとの準決勝2ndレグでは出場をしていないが、トップチームのベンチ入りをするなど、バルセロナの将来を担う存在として期待を受けている。
2016-2017年シーズンはバルセロナBでセグンダBでプレーをする中、度々トップチームの帯同メンバーに招集を受けていた。そして2016年11月のコパ・デル・レイのエルクレスCFとの試合でトップチームデビューを果たすと、2017年4月2日のリーガ・エスパニョーラ第29節のグラナダ戦ではリーグデビューも飾っている。バルセロナBでのリーグ戦では23試合3得点7アシストとプロ2年目のシーズンを有意義に過ごしており、チームも3年ぶりとなるセグンダ・ディビシオン(スペイン2部リーグ)に昇格を果たした。
2017-2018年シーズンはその昇格をしたセグンダ・ディビシオンにて躍動をする。第4節のコルドバCFとの試合で初得点を記録すると、第6節まで3試合連続で得点を奪った彼は、その後もコンスタントに得点を重ねていき、リーグ戦38試合で11得点4アシストと得点力を開花させるシーズンとなった。個人としては申し分のない成績であったが、チームはわずか1年でセグンダBへの降格が決定してしまい、素直に喜べないものとなっている。また、最終節のレアル・サラゴサとの試合において右足のハムストリング腱を断裂する怪我に見舞われており、約3ヶ月間はピッチに立てることができないと言われており、現在もリハビリに奮闘中だ。既にその才能は3部リーグでプレーするものではなく、2018-2019年は5月の時点でエルネスト・バルベルデ監督がトップチームへの昇格を明言しているが、負傷の影響もあり復帰後の数試合はバルセロナBでの調整になる見通しだ。
代表歴
ラ・マシアの各世代でチームを牽引していたのと同様、スペインの各世代別代表においても彼の存在は大きい。 U-17、U-19代表では常にキャプテンとしてプレーをしていたが、チームとしては思うような結果を残せてはいない。また、デビューには至っていないが、U-21代表にも招集をされており、怪我からの復帰が待たれる。
移籍の噂
近年カンテラーノの流出が激しいバルセロナにおいて彼も例外ではなかった。素晴らしいオファーがあったことは認めており、本人も迷ったと語ったがバルセロナへの忠誠を近い残ることを決断している。そして2017年9月にはバルセロナとの2022年夏までの契約を交わしており、契約解除金は7500万ユーロに設定されたことからも、移籍は考えづらいだろう。
プレースタイル
前述のようにマラドーナと比較されていた彼は、10番を背負っていたこともありリオネル・メッシとも比較をされる存在であった。しかし、本人は比較すべき存在ではないと語り、プレースタイルも彼らとは少し異なる。足下のスキルは高く、180cmでのドリブルは力強さが表れ、全体的な完成度が高い。リヴァウドが幼少期のアイドルだと語り、デコとイニエスタからもプレースタイルの参考にしているそうだ。