名前 | アンデルソン・ドゥアルテ(Anderson Duarte) |
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生年月日 | 2004年3月23日 |
国籍/出身 | ウルグアイ(タクアレンボー) |
身長 | 175cm |
ポジション | WG/CF |
所属 | デフェンソール・スポルティング |
貧困な家庭環境から母親を救ったウルグアイの俊英
プレー動画
経歴
■2004-2016年(幼年期~タクアレンボ)
ウルグアイ北中部にて人口5万人程度が暮らしているタクアレンボーという街にて彼は生まれ育っている。家庭は質素な暮らしを余儀なくされるような環境にあり、6人兄弟の4番目として誕生したのが彼であったが、上の3人は祖父母のもとで育てられるなど経済的に困難を極めていた。競技用のシューズを買うのにも一苦労であったが、2~3歳で地元のベビーサッカークラブである『クルブ・ポリシアル・タクアレンボー』にてボールを蹴り始めると、8歳になる頃には1シーズンで60得点を挙げた統計データが注目を集めていたという。
こうした地域レベルの統計データにいち早く着目していたのが「GBGグローバル・ビジネス・グループ(代理人グループ)」であり、同社のスカウティング責任者を務めるフアン・グラヌラッティであった。このデータによって彼が所属するクラブに接触を図り、スカウトのために訪れた試合で前半だけで6得点を奪っていた彼が本物であると判断したことで、試合後には関係性が構築されている。そこで提示された選択肢が「デフェンソール・スポルティング・クルブ」でプレーするために首都のモンテビデオに来ることであり、片道で約350kmの見知らぬ土地での挑戦を母親と話し合いながら許可を得ていた。
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そこからの3年間は、平日はタクアレンボー、週末はモンテビデオの『リンコン・デ・カラスコ(リンコン・シティ)』でプレーするといった二重生活を続けており、長距離の移動に疲弊しながらもトレーニングを継続。そして11歳となった彼は、プロサッカー選手として母親を助けるために単身でモンテビデオに住むことを決断しており、当初のプラン通りに『デフェンソール・スポルティング・クラブ』の下部組織に入団している。
■2016-2023年(デフェンソール)
デフェンソールでは「プロフェ・サントス(サントス教授)」の愛称を持つユース責任者のセサル・サントス(2017年2月に逝去)の指導もU14カテゴリで経験しており、同氏の声量が大きく情熱的な指導によって泣いて帰るような少年もいるなかで、彼も泣いて帰りたがっていたが母親とグラヌラッティに止められていたという。結果的に彼と同じようにモンテビデオではない他県からやってきた他の同期7名はクラブを去り、残ったのは彼だけであったそうだ。
それから時は流れ、ユースカテゴリで順調に成長していた彼の転機となる出来事が起きる。2020年シーズンにおいてトップチームがセグンダ・ディビシオン(2部リーグ)に降格したことである。COVID-19の影響や不慣れな降格圏での争いを制することが出来ず、降格が現実なものになったことをクラブは重く受け止め、2021年シーズンを改革の意味合いも込めてユース選手の積極起用にて1部リーグ復帰を目指す方向に舵を取ったのだ。
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2021シーズン後半の2021年11月に指揮官がエクトル・ロドリゲスに代わり、そのアシスタントコーチにユース部門の指導者であったヘラルド・ミランダが引き上げられたことが機となりトップチームの選択肢に含まれると、同月のウルグアイ・モンテビデオFC戦にて2部リーグながらトップデビューを達成。レギュラーシーズンを自動昇格圏の2位以内で終えることはできなかったが、4位の成績で昇格プレーオフに臨んでおり、CAセロとの2ndレグでは初スタメンにて起用されるも前半だけで立て続けの警告にて退場となる経験も味わっている。危うく昇格の望みが断たれる可能性がありながらもチームは無事にプレーオフを制したことで1年での1部リーグ復帰を達成した。
17歳の彼にとってほろ苦いシーズンとなったが、翌2022年シーズンではプリメーラ・ディビシオン・アペルトゥーラ(1部リーグ前期)から出場機会を得ており、夏に行われる中間トーナメントではボストン・リーベル戦で初得点も記録した。翌節のダヌビオとのダービーマッチで膝を負傷するも、1ヶ月後には復帰しており後期リーグでは10試合に出場している。また、2022年に新設されたコパ・ウルグアイでも印象的なプレーを見せており、ラ・ルースとの決勝戦では左足から決勝ゴールをアシストするなど同大会の初優勝クラブとして歴史に名を刻んでいる。
代表歴
世代別代表でのデビューは2018年9月に行われたニューウェルズ・オールドボーイズとの親善試合であり、ウルグアイU15として出場。2019年11月に開幕したU15南米選手権ではグループラウンドにて2得点を挙げる活躍を見せるも、4位で決勝トーナメント進出には至らず、その後の世代別代表もCOVID-19の影響にて活動は制限されていた。
¡Somos campeones del Mundial -!#ElEquipoQueNosUne pic.twitter.com/7NEkpBCyZr
— Selección Uruguaya (@Uruguay) June 11, 2023
そんな彼が脚光を浴びたのはウルグアイU20における活躍であり、2023年1月のU20南米選手権では大会途中の負傷で離脱するも、チームは準優勝でU20ワールドカップへの出場権を獲得し、同大会が彼の国際的な評価を高めるきっかけとなっていた。決勝トーナメントのガンビア、アメリカ、イスラエル戦では重要な決勝ゴールを挙げたほか、イタリアとの決勝戦を制したことでウルグアイの初優勝を彼はもたらしている。そのまま2023年6月にはフル代表に初招集されるなど勢いに乗っている。
移籍の噂
デフェンソール・スポルティングとは2026年12月末までの契約を残しているが、海外への挑戦はそう遠くない未来に訪れるだろう。欧州だけでなくウルグアイ人選手の近年で多いルートであるブラジルやアメリカを経由する可能性も予想されており、Instagramではフラメンゴ(ブラジル)もフォローしているが、これは自身のアイドルであるジョルジアン・デ・アラスカエタの影響でありながらも、実際に2023年4月には交渉が行われていたとも報じられている。
プレースタイル
センターフォワードやトップ下で起用されることもあるが、本来の主戦場をウィングとするアタッカーだ。持ち味としているのはドリブラーとしての突破力にあり、身体を細かく揺さぶりながら相手の重心を逆手に取るタッチで縦横無尽に侵入することを得意パターンとしている。利き足は右足であるが、逆足でもシュートレンジを問わない精度の高さとパンチ力のある軌道を描けるため、左右どちらのサイドでのプレーを可能としている。この強みからパスレンジの広い展開力も兼ね備えている。
また、判断に時間を要さない決断力と大舞台でも臆さない決定力、相手DFとの駆け引きからボールを引き出すことも巧みであるため、センターフォワードで起用される場合はこうした姿を確認することができる。守備の面では勇猛果敢に前から奪いに行くことを本能的に行っており、175cmとフィジカル的なアドバンテージは持っていないがウルグアイ人らしさのある重心の低い安定したフィジカルバランスにて球際の強さを見せている。ただし、このアグレッシブさが警告の対象となることも多く、注意が必要だろう。
私生活
父親のように慕っているフアン・グラヌラッティの娘アイナを心の妹として溺愛している。