| 名前 | アドリアン・プシボレック(Adrian Przyborek) |
|---|---|
| 生年月日 | 2007年1月1日 |
| 国籍/出身 | |
| 身長 | 184cm |
| ポジション | AMF/WG |
| 所属 | ポゴニ・シュチェチン |
※Przyborekはプシボレク、ブシュボレクとも表記されるだろう
類まれなセンスを持ったコシャリンの宝石
プレー動画
経歴
■2007-2021年(幼年期~バウティク・コシャリン)
ポーランド北西部、バルト海に面した都市コシャリン。中世の建築物と海沿いの観光資源を備えたこの街で、アドリアン・プシボレックは幼少期を過ごした。5歳で『SASシャノフ(現:ヴィクトリイ・シャノフ) 』に入団すると、指導者たちは“特別な子が来た”と感じ取ったという。2〜4歳上のカテゴリーへ臆することなく組み込まれ、体格差がありながらも技術面では十分に対応していた。
やがて転機が訪れる。レヴァルで開催されたインドアサッカー大会で、コシャリン地域の名門バウティク・コシャリンを相手に印象的なプレーを披露したことだ。試合後には同クラブから直接誘いの連絡が届き、所属していたシャノフからも育成環境の面で勧められ、彼は2016年に9歳で『バウティク・コシャリン』へ加入することになった。
新たな環境では同世代より身体が小さかったため、当初は試合終盤での出場が中心だった。それでも限られた時間で確実に貢献し、徐々に主力として定着していく。バウティクは同世代で複数のトーナメントを制し、彼自身も最優秀選手賞に選ばれるなど結果を残し続けた。こうした活躍を受け、後に『ポゴニ・シュチェチン』のアカデミーから声がかかり、初めて親元を離れて約40万人が住むシュチェチンでの生活を始めている。
■2021-2025年(ポゴニ・シュチェチン)
14歳でポゴニ・シュチェチンのアカデミーに加入すると、翌2022年5月には15歳でセントラル・ユースリーグ(U19リーグ)にデビューした。この年代での起用は、能力が高いレベルに達していたことを示す出来事だった。2022/23シーズンはU19からスタートし、セカンドチームでの1試合を経てトップチームに招集。2023年2月のヴァルタ・ポズナン戦では、16歳1ヶ月17日でクラブ史上2番目の若さでのトップデビューを果たしている。
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2023/24シーズンは途中出場を中心に出場機会を重ね、後半戦には先発出場も増加。リーグ戦での初ゴールを記録し、国内カップ戦では準々決勝以降でウィングとして起用され、準優勝に貢献した。続く2024/25シーズンは指揮官イェンス・グスタフソンの退任という変化があったものの、背番号「10」を与えられた彼は2年連続でのカップ戦準優勝を果たし、2025年12月現在では18歳にして80試合以上に出場するなど、次なるステップへの下準備が整っているところだ。
代表歴
16歳でTOPチーム入りをしていたこともあり、ポーランドU16から常に各世代別代表のエリートとして招集されている。2025年はポーランドU19としてキャプテンマークを着用する機会も得ながら、EURO U19の予選ラウンド突破に貢献。本大会へのチケットをかけたエリートラウンドを控えながら、既にポーランドU21に選出されるまでの評価を得ている。
移籍の噂
ポゴニ・シュチェチンとは2027年6月末までの契約を残している。2025年夏にはRBザルツブルクが興味を持っていたとされ、現在もノッティンガム・フォレストとベンフィカの名前が挙がっているなど18歳を迎えた彼を獲得しようとする動きは活発となっている。好きなクラブとしてはユヴェントスを挙げているほか、イタリアやスペインのサッカーが雰囲気として好きだと語っている。
プレースタイル
TOPチームではボール保持時の抜群な落ち着きと、シンプルで効果的なパス(スルーパスやサイドチェンジ)を素早く展開できるスキルセットから中央で起用されることが多いが、ユースカテゴリにおいては本職を右ウィングとするだけでなく、過去にはセンターバックとしてもプレーしていたなど高い適応力を持った才能だ。
14歳当時の記事からネイマールとクリスティアーノ・ロナウドからインスピレーションを得ていることが明らかとなっており、自由に自信を持った仕掛けと力強く前進するドリブルは彼が大事にしている信念だ。かつての指導者が口を揃えて評価するようなゲームの流れを読む能力は、彼が途中出場から得点に関与する結果としても表れており、既にTOPチームで3年目の時間を過ごしているだけに洗練されつつある。利き足は右足であり、プレーのほとんどを右足に頼る姿も特徴的だろう。
小ネタ
TOPデビュー時にはクラブの胸スポンサーがブックメーカーであったため、当時未成年の彼はスポンサーロゴを着用できないという出来事があった。兄はポーランドの第八対空連隊に所属する軍人だ。