名前 | アドリアン・カプラーリク(Adrián Kaprálik) |
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生年月日 | 2002年6月10日 |
国籍/出身 | スロバキア(ドルニー・クビーン) |
身長 | 178cm |
ポジション | RWG |
所属 | MSKジリナ |
※Kapralikはカプラリクとも表記されるだろう
ジリナの10番を背負うスロバキアの快速ウィンガー
プレー動画
経歴
■2002-2015年(幼年期~)
スロバキア北部のジリナ地方にて歴史的な街並みが残るドルニー・クビーンにて彼は生まれ育っている。父親のドゥシャン・カプラーリクは近隣地域のクラブである『オラヴァン・オラヴスカ・ヤセニツァ』で長年ユースコーチを務め、現在はトップチームの指揮官になるほどフットボールへの造詣が深い人物であり、叔父のズデンコ・カプラーリクもオランダ2部などでプレー歴のある人物であるなど、彼の家系はフットボールの才能に溢れたものであった。
このため彼が幼少期を過ごしていたのはオラヴァン・オラヴスカ・ヤセニツァであり、父親から直接指導を受けながら才能を伸ばしていた。父は厳しい人物であったが彼のトレーニングを強制することはなく自主性を尊重しており、周囲の少年らが遊びとしてボールを蹴るのに対し、彼は幼くしてプロサッカー選手になることを意識していたという。13歳になる頃にはジリナ地方を代表する『MSKジリナ』によってマークされると、2016年3月(2015年の記載も)に同クラブの下部組織へ入団している。
■2016-2023年(ジリナ)
同じジリナ地方ではあるがドルニー・クビーンからは60km程度離れていたこともあり、13歳にして親元を離れての生活がスタート。最初の1ヶ月間は大都市でもあるジリナでの生活に馴染むことに苦労しているが、そこはチームメイトが助けてくれたという。ようやくスタートラインに立った彼だが、ここでキャリアを脅かす怪我に悩まされることになる。成長期によく見られるオスグッド病(オスグッド・シュラッター病)だ。
オスグッド病の影響で運動をするたびに症状が悪化することに悩みながら、当初の専門家の見解ではサッカーを辞めることも視野に入るほどであったという。それでも新たな専門家に望みを託すと、わずか3ヶ月間で完治することに成功し、夢を諦めずに済むも約8ヶ月の離脱は大きな痛手であった。こうした遅れがありながらも、復帰後にはU15カテゴリのチャンピオンシップ制覇に貢献し、得点王の個人タイトルとスロバキアサッカー協会からアカデミー部門の最優秀選手賞にも選出。わずか15歳にしてジリナの至宝まで上り詰めるなど折り紙付きの才能となっている。
約束された才能として期待を受けていた彼は、2019/20シーズンより17歳でジリナのBチームに昇格。すぐさまスロバキア・2.リーガ(スロベニア2部)でのデビューを飾り、2020年1月には最初のプロ契約を締結しながらトップチームの練習に参加する扱いを受けていた。そこからCOVID-19の影響で中断期間が訪れるも、再開後の2020年6月にはチャンピオンシップ・ラウンドのFCスパルタク・トルナヴァ戦でトップデビューを達成するなど、シニアカテゴリでの初年度をBチームで6試合1得点1アシスト、トップチームで2試合(30分)の出場にて終えている。
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2020/21シーズンでは途中出場ながらもトップチームの多くの試合に出場しており、実際の試合経験はBチームで補うなど二足のわらじで成長を続けると、シーズン終盤のチャンピオンシップ・ラウンドよりスターティングメンバーの起用が見られるようになっていた。スロヴェンスキー・ポハール(カップ戦)の準決勝では2戦合計で2得点2アシストを奪うなど、印象的な活躍も要所で残しながら2年目にして戦力として認められている。このままブレイクすることが予想されていたが、2021/22シーズンはUEFAユースリーグ(U19)、世代別代表といったコンペティションによる負担がかかったのかペースダウンしており、最終的に足首の負傷で終える不本意なシーズンであった。
節目となる20歳で2022/23シーズンを迎えた彼は、開幕から右ウィングの定位置を確保しており、第3節のMFKデュクラ・バンスカー・ビストリツァ戦では2アシストを記録。その後はチームの成績と同じく波がありながらも、要所で結果を残しており、なかでも印象的であったのが首位のSKスロヴァン・ブラチスラヴァを相手に記録した1試合4得点であろう。4連敗後の不穏な雰囲気のなかでの結果がチームを蘇らせ、レギュラーシーズンではチャンピオンシップ・ラウンドに進出できる6位に滑り込み、現在はそんなチャンピオンシップ・ラウンドで奮闘中だ。
代表歴
2016年10月に14歳でスロバキアU15に選出されて以降、世代別代表の常連選手としてスロバキアを代表しており、順調なキャリアを歩んでいる。2021年3月より18歳ながらスロバキアU21でプレーすると、予選ラウンドでスペインに次ぐ2位で終える原動力となり、惜しくも本戦進出をかけたプレーオフでウクライナに敗れるも、2025年に開催国となる代表に明るい兆しを残した。
2022年9月にフル代表候補として認められると、スロバン・ブラチスラヴァに4得点を挙げた2日後にマレク・ハムシクの代表引退試合となる親善試合にて初めてフル代表に招集。チリ代表との試合ではハムシクがピッチを去る一連の交代で代表デビューを飾り、新たな時代の転換を予感させるようなシーンとなっている。
移籍の噂
MSKジリナとは2024年6月末までの契約を交わしており、残り1年となった2023年夏の移籍市場で動きがある可能性もあるだろう。現時点では目立った噂も報じられておらず、昨年冬の時点で具体的なプランも持っていないなど、これから道が開かれるような状況だ。そんな彼は好きなクラブとしてリヴァプール(イングランド)とドルトムント(ドイツ)の名前を挙げている。余談ではあるが、彼の母親と思しき人物はアリアンツ社のスロバキア支部に勤めている。
プレースタイル
名前を文字って「Kapo(カポ)」として親しまれる右利きの彼は、利き足と同じく右のウィングを定位置としているアタッカーだ。最大の武器はスピードにあり、時速36.1kmを記録したその足を活かしたプレーが特徴となっている。DFの背後を狙った動きで一気にゴールまで迫るほか、自らで縦にボールを動かしながら差をつけるなど、快速ウィンガーとして遺憾なく持ち味を発揮する。
また、縦の印象だけでなくカットインも織り交ぜており、逆足の左足からでも精度の高いシュートを放つことができるだけでなく、非凡なパスセンスも持っているためゴールとアシストの両方で貢献できる存在だろう。そんな自身の改善点としてはファーストタッチの質やスタミナ、そして守備面の向上を挙げており現代のウィンガーに求められる役割を植え付けているところだ。