名前 | ヨシプ・スタニシッチ(Josip Stanisic) |
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生年月日 | 2000年4月2日 |
国籍/出身 | クロアチア(ミュンヘン) |
身長 | 187cm |
ポジション | RB/CB |
所属 | FCバイエルン・ミュンヘン |
クロアチア代表を選択したバイエルンの若き職人
プレー動画
経歴
■2000-2017年(幼年期~フュルステンフェルトブルック)
ドイツ連邦共和国とクロアチア共和国の両方の市民権を保有している彼は、ドイツを代表する都市のミュンヘンにて誕生した。父親のダミールはブロド=ポサヴィナ郡のマリノに生まれ育ち、後に妻となる母親のサンドラも同郡のオリオヴァック出身であるなど、純粋なクロアチア人家庭の下でドイツで生活している。同郡にルーツを持っている選手としてはイヴァン・ラキティッチが最も著名な例だ。
父親のダミールはかつて才能を持ったサッカー選手であり、10代の頃にFCバイエルン・ミュンヘンへの入団テストを受けていた。しかし、祖父のミラン・スタニシッチは不合格であったことを語り、それからダミールが学業に専念しながら自動車整備士になった過去を持っており、そうした背景から彼がサッカーを始めるのも時間の問題であった。最初はバイエルンU8のトライアルに臨んでいたが、そこでは父親と同様にクラブから認められることはなく、その代わりとして同じくミュンヘンを代表するTSV1860ミュンヘンのアカデミーに加入している。
2011年に開催されたE-ユーゲント(U11)のトーナメントであるメルクール・カップでの活躍は記録に残っており、SVハイウシュテッテン戦での勝ち越しゴールやバイエルンとの予選ラウンドでの勝利に貢献。それらの評価を手にしながら1860ミュンヘンには2015年夏まで在籍しており、さらなる成長を求めてDFB(ドイツサッカー連盟)のタレントプロモーションプログラムを提供しているSCフュルステンフェルトブルック(FFB)に加入した。
初年度はFFBのU16としてプレーすると、B-ユニオーレンの地区リーグでは1.FCガルミッシュ=パルテンキルヒェンに惜しくも届かず2位の成績で終えているが、彼自身はシーズン終盤の2016年5月よりU17に昇格。U17ではシーズンの残り8試合で2得点を記録しながらクラブのU17カテゴリにおける3部リーグ(ランデスリーガ)昇格に貢献している。2年目はそのU17/3部で主力として活躍しながらバイエルンリーガ(2部)を目指していたが、2017年1月にFCバイエルン・ミュンヘンとの契約を締結した。しかし、FFBがバイエルンへの即時移籍に合意しなかったことからシーズン後半戦には出場停止処分を受け、さらには怪我の影響でバイエルンにおいてはB-ユニオーレン(U17)の1試合にも出場していない。
■2017-2021年(バイエルン・ミュンヘン)
2017年夏にようやくバイエルンでの本格的なプレーが始まると、U17での未出場にもかかわらずA-ユニオーレン(U19)のためのU19に登録。現在はTSGホッフェンハイムの若き名将として知られるセバスティアン・ヘーネスによって序盤戦から出場機会を得ており、2017年12月から2018年2月にかけては怪我の影響によって離脱するも、復帰後もフル出場にてプレーするなど実質的な初年度はA-ユニオーレン・ブンデスリーガ(U19リーグ)での20試合(1537分)に出場した。彼が負傷離脱していた5試合は1勝2分2敗と安定感を欠き、出場した20試合は17勝2分1敗という成績であったことから、仮にフル稼働していたならばホッフェンハイムに地区リーグの優勝をさらわれることはなかっただろう。
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翌2018年夏にはバイエルンのトップチームにてプレシーズンキャンプを過ごしており、いくつかのトレーニングマッチにて非公式戦ながらデビューを飾っていた。そんな2018/19シーズンにはヘーネスよりバイエルンU19の主将に任命されると、A-ユニオーレンでは4位、UEFAユースリーグでもGL敗退、カップ戦でもベスト16敗退と目立った成績を残すことはできなかったがチームに欠かせない選手として牽引している。2019/20シーズンはU19を率いていたヘーネスが内部昇格したFCバイエルン・ミュンヘンⅡ(リザーブ)に、彼もまた昇格したことで3.リーガ(3部)でのプレーが始まると、2019年7月のKFCユルディンゲン05戦にてシニアカテゴリでのプロデビューを達成。以降はまたしても度重なる怪我の影響でフル稼働はできなかったが、3.リーガの18試合(828分)での出場にて終えている。それでもバイエルンⅡのリーグ優勝を経験した。
2020/21シーズンは再びバイエルンⅡを率いるホルガー・ザイツの下でプレーするも、チームは終盤戦にかけて絶不調の状態に陥り、失意のままに18位の成績にてレギオナルリーガ(4部)への降格が決定。彼自身は2021年4月のブンデスリーガ(1部)第28節となるウニオン・ベルリン戦でトップデビューを飾るも、主戦場はリザーブチームであったことから満足いかないシーズンの終わりを迎えている。
そんな彼だが、2021年6月末に契約が失効することから退団の可能性が示唆されるも、最初のプロ契約を締結。2021/22シーズンに向けたプレシーズンにてトップチームの新たな指揮官であるユリアン・ナーゲルスマンが評価したことでローン移籍の可能性から残留すると、バンジャマン・パヴァールが離脱していた期間では右サイドバックを見事に勤め上げたことでシーズン序盤にサプライズを提供している。今後も評価され続けることだろう。
代表歴
ドイツ連邦共和国とクロアチア共和国の両方の市民権を保有しているが、非公式戦ながらドイツU17に招集され、2018年11月にはドイツU19に招集されてからはHNS(クロアチアサッカー連盟)にドイツを選択したことを伝えたと報じられていた(父親のダミールによると単純にHNSからの連絡がなかったという)。そんなドイツU19では2試合のみの出場に留まっていたことで、2019年以降はどちらの代表にも未招集という状況が発生。2021/22シーズンにバイエルンのトップチームでの活躍によって代表選択の話が再熱すると、彼は家族も予想できなかったと語るようにクロアチア代表を選択している。
最初はクロアチアU21でのデビューを予定したが怪我の影響でキャンセルになると、2021年10月にはU21ではなくクロアチアのフル代表に初招集。そのまま2022年のワールドカップ予選となるキプロス戦にてフル代表デビューを飾るなど、クロアチア代表としての道を正式に歩み始めている。
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移籍の噂
前述の通り一時はローン移籍の可能性もあったが、ユリアン・ナーゲルスマンが評価したことで残留。最初のプロ契約にて2023年6月末までの契約を交わしているが、10月には新たに2年延長となる2025年6月末までの契約更新をしていることからも、バイエルンにて自身のキャリアを形成することが既定路線だ。何かしらの理由で出場機会が限られた場合でも、かつてのコーチであるセバスティアン・ヘーネスの存在もあるため、彼に与えられている選択肢は多い。
プレースタイル
右利きの彼は右サイドバックを本職としつつも、ディフェンスラインでは全てのポジションをプレーすることができる非常に起用法が広い重宝される存在だ。187cmの恵まれたフィジカルを持ちながらナーゲルスマンが信頼している安定したパフォーマンスにて守備をこなし、アグレッシブなタックルや球際の強さといった部分でトップカテゴリでも時間をかけずに適応したのは彼がサイドバックとして守備を基盤としていることによるものだろう。
攻撃的な部分は適切なタイミングのみ実行に移し、一部では両利きとも記載されるような技術にて堅実に相手のスペースを突くスタイルとなっている。彼がロールモデルとしているのはバンジャマン・パヴァールやフィリップ・ラームであり、ラームは極端にミスが少ないことを挙げるなど子供の頃からのアイドルであり参考しているという。既にベテランの領域を感じされるような調子の波のない安定感のある選手であり、さらには異なるポジションでも起用できるといった側面からバイエルンでも重要な存在へと成長するはずだ。気をつけるべきは過去の傾向として見られる負傷の多さだろう。