名前 | フロリネル・コマン(Florinel Coman) |
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生年月日 | 1998年4月10日 |
国籍/出身 | ルーマニア(ブライラ) |
身長 | 182cm |
ポジション | LWG |
所属 | FCSB |
貧しい家庭から這い上がるルーマニアのエムバペ
プレー動画
経歴
■ 1998-2017年(幼年期~FCヴィトルル・コンスタンツァ)
ルーマニア東部にある都市 “ブライラ” に生まれた彼だが、貧しい家庭で育っている。8歳で地元のルチャーファルル・ブライラにてサッカーを始めるが、9歳の頃には両親がスペインへ2~3年間の出稼ぎに行っていたこともあり、祖父母に育てられていた。スペインで運転手として働く父としてはサッカーが出来る環境だけは整えたいという思いから、彼に対して財政的な支援をしていたものの、彼自身は自分がそれに値するのか疑問だったという。しかし、ゲオルゲ・ハジが主催するCup Hagi(カップ・ハジ)で印象的な活躍を残した彼は、13歳となる2011年にゲオルゲ・ハジ・アカデミーに引き抜かれ、プロ選手になるための道が開かれるまでに成長を果たした。ゲオルゲ・ハジ・アカデミーに加入することになった彼だが、その当時は反抗的な少年だったことで有名であり、時に感情を抑えきれない行動は多くの人を困らせたという。ただ年齢を重ねるごとにサッカー選手としての意識の変化などが見られ始めると、2015年4月18日にLiga 1(ルーマニア1部リーグ)第27節のアストラ・ジュルジュ戦でデビューを飾る。以降はU19でもプレーする傍ら、FCヴィトルル・コンスタンツァに定着するようになるなどプロとしてのキャリアを進めている。16-17シーズンは、Liga 1のチャンピオンシップラウンドも含めると、28試合で6得点7アシストという記録を残し、クラブ創設から初めてのリーグ優勝に大きく貢献した。この活躍もあり、欧州主要リーグへの移籍も噂されるようになった彼だが、2017年8月に同じくルーマニアリーグに所属するFCSB(改称前はFCステアウア・ブカレスト)に265万ユーロで移籍。引き続きルーマニアに留まることになった。
■ 2017-2019年(FCSB)
265万ユーロというルーマニア国内では類を見ない移籍金だったこともあり、多くプレッシャーに晒されながら臨んだ加入初年度の17-18シーズンはリーグ戦25試合で3得点5アシストと、期待とは裏腹にやや低調な成績で終えている。翌18-19シーズンに入り徐々に環境にも順応してきた彼は、開幕戦から8試合で6得点と好スタートを切るなど、左のウィングとして2018年は21試合7得点6アシストと本来の実力を証明している。
代表歴
2014年からルーマニアU-17に招集を受けており、2014年のU-17欧州選手権予選ラウンドでは全6試合に出場し、デンマークU-17戦ではハットトリックを記録している。現在はルーマニアU-19を経て、ルーマニアU-21でプレーをしており、2017-2019 U-21欧州選手権ではグループリーグの首位通過に貢献し、本戦での活躍に注目が集まる。
移籍の噂
ヴィトルル・コンスタンツァ在籍時にはポルトガルのSLベンフィカからの関心が伝えられており、 現在はイングランドのチェルシー、トルコのガラタサライやイタリアのパレルモが獲得に乗り出していると報じられている。FCSBとの契約は2022年6月末までとなり、バイアウト条項が8800万ポンドに設定されているが、クラブは400万ユーロ以上のオファーであれば交渉に応じるとされているため、売却することはやぶさかではないものと見られる。
プレースタイル
左のウィングを主戦場とする右利きの選手であり、優れたテクニックとスピードに乗ったドリブルから一部では “ルーマニアのエムバペ” とも称されている。 ただ、彼自身の少年時代のモデルとしてはクリスティアーノ・ロナウドとファン・ニステルローイだという。得点力にも優れているだけでなく、プレースキックのセンスも評価されるなど、ルーマニアでも有数の逸材だ。