名前 | エンソ・フェルナンデス(Enzo Fernández) |
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生年月日 | 2001年1月17日 |
国籍/出身 | アルゼンチン(サン・マルティン) |
身長 | 180cm |
ポジション | DMF/CMF |
所属 | リーベル・プレート |
※エンツォ・フェルナンデスとも表記される
デフェンサで進化を遂げたリーベル保有の便利屋
プレー動画
経歴
■2001-2020年(幼年期~リーベル・プレート)
アルゼンチン・ブエノスアイレス州のサン・マルティンに生まれた少年は、父ラウルが熱狂的なファンであったリーベル・プレートのプリンスであるエンツォ・フランチェスコリにちなんだ名前を授けられていた。地元サン・マルティンにあるクラブ・ラ・レコバにてベビーフットボールを始めると、5歳の頃には名門リーベル・プレートのスカウトであるパブロ・エスキヴェルとルイス・ペレイヤによって発見されており、6歳からリーベル・プレートの下部組織に加入している。
幼いながらもリーベルのシャツを渡されて『君はもうリーベルの選手だ!』と言われたのは覚えており、新たに設立された5人制のカテゴリを中心にプレー。そこで左右のミッドフィールダーの経験を積んでいたのが現在のユーティリティ性につながる原点になると、セクサ・ディヴィシオン(17歳未満)を卒業した2019年よりマルセロ・ガジャルドが率いるトップチームのトレーニングに帯同している。18歳となった2019年1月にはプリメーラ・ディビシオン(アルゼンチン1部)でのベンチ入りを果たし、2020年2月には最初のプロ契約を締結した。
1ヶ月後の2020年3月5日にはコパ・リベルタドーレスのLDUキト(エクアドル)戦にてデビューを飾っているが、より多くの試合に出場する必要があるとして2020年8月より同カテゴリのデフェンサ・イ・フスティシアへの期限付き移籍が決定している。
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■2020-2021年(デフェンサ・イ・フスティシア)
デフェンサではコパ・リベルタドーレスのグループステージを戦うことから始まっており、デルフィンSC(エクアドル)やオリンピア(パラグアイ)、サントスFC(ブラジル)といった各国を代表するクラブとの試合に出場するも、グループ内では3位となったことで大会は敗退。代わりにコパ・スダメリカーナの出場権を得ることになっている。アルゼンチン国内のカップ戦などにも出場していたが、彼が最も重要な役割を残したのがコパ・スダメリカーナであり、準々決勝1stレグのECバイーア(ブラジル)戦では初ゴールを記録している。準決勝のCDコキンボ・ウニド(チリ)戦からはフル出場にて勝利に貢献し、同国対決となった決勝戦のCAラヌースを相手には0-3の完勝と表現しても過言ではない結果にてクラブに初の国際大会優勝の栄冠をもたらしている。
この活躍を受けたマルセロ・ガジャルドは、2021年12月までの期限付き移籍だった彼を当初よりも早く呼び戻すことを希望しているため、リーベル・プレートのトップチームにて本格的な稼働をすることが見込まれているところだ。
代表歴
2019年7月にエステバン・ソラーリが率いるアルゼンチンU18としてアルクディア国際大会に臨むと、翌月にはアルゼンチンU20でのデビューを飾っている。
移籍の噂
2021年末まで留まらせたいデフェンサと、早急に呼び戻したいリーベル・プレートの間で少しのイザコザは起きているが、彼自身がリーベルでプレーしたいと語っているので実現するだろう。リーベルとは2023年6月末までの契約を残しており、まだトップチームでは思うような出場機会を得ていなかったことからリーベルでのプレーには熱い闘志がみなぎっているため移籍には応じない姿勢だ。
プレースタイル
期限付き移籍前の彼は優れたテクニックとパスセンスが光るようなゲームメイク力に定評がある中盤のプレーヤーであったが、デフェンサ・イ・フスティシアでの成長により守備の強度やボールを回収する能力が増しているため総合的に優れた人材へと進化を遂げている。そのため中盤のいかなるポジションでも完全な能力を発揮することができ、特にドブレ5(アルゼンチン特有の語彙で二人のNo.5がアンカーよりも前で一緒にプレーすることを指し、いわゆるクリエイティブな攻撃的ミッドフィールダーの意)でも快適にプレーできることを語っている。国内ではエンソ・ペレスとレオナルド・ポンシオをモデルケースとしており、国外の選手ではフレンキー・デ・ヨングを参考にしているそうだ。