名前 | ミハウ・カルボウニク(Michal Karbownik) |
---|---|
生年月日 | 2001年3月13日 |
国籍/出身 | ポーランド(ラドム) |
身長 | 175cm |
ポジション | SB |
所属 | レギア・ワルシャワ |
※ミハウ・カルボヴィニク、ミハウ・カルボヴィク、ミハエル・カルボニックとも表記されるだろう
カンテをモデルにプレーするポーランドの新鋭サイドバック
プレー動画 Michał Karbownik to loooozak pic.twitter.com/f0yEUKsyTm
— Michał Rączka (@majkel1999) 2019年10月30日
Michał Karbownik to loooozak pic.twitter.com/f0yEUKsyTm
— Michał Rączka (@majkel1999) 2019年10月30日
経歴
■ 2001-2018年(幼年期~レギア・ワルシャワ)
ポーランド中東部の都市ラドムに近い町で約1200人が暮らす中、彼も14年間の時を過ごしていた。2010年にGKS Zorza KowalaでBartosz Piętakの指導の下でサッカーのキャリアを始めており、一時的にMłodzik 18 Radomでのプレーも交えながら2015年よりレギア・ワルシャワのアカデミーへと移籍を果たしている。Młodzik 18 Radomの在籍時にはバスに乗るために2時間を待ち、さらには40分間の道のりを経て練習場に向かうなど12歳の少年には大変な経験を積んでいたという。そんな彼を支え続けたのは兄であるマテウスであり、母親が仕事をしている間は常に彼の世話をしていた。
14歳でレギア・ワルシャワのアカデミーに移った後は、物事を一人で対処することを求められていたことから、最初の2週間は困難な時期を過ごしていた。中でも、寮からスタジアムまでの道のりを知らず(距離としては遠くない)、怪我の影響もあり最初はプレーをしていなかったため自身がなぜそこにいるのかを感じることが大変だったそうだ。しかし、実際にレギア・ワルシャワでのサッカーは彼にとって常に新鮮な景色を見せており、人工芝、戦術、トレーニングはたまたパーティーも彼にとっては真新しいものであった。
レギア・ワルシャワでの生活も慣れ、アカデミーでも充実した時間を過ごしていた彼だが、この頃のアカデミーにはトップチームへの昇格は不可能に近い夢のような世界だという空気が流れていたという。そんな彼らの希望となったのが、1999年生まれであるセバスティアン・シマンスキの存在であり、17歳にしてトップチームでのデビューを飾ったことからアカデミーの選手らに実現不可能な夢ではないという希望を与えることとなっている。
■ 2019年(レギア・ワルシャワ)
レギア・ワルシャワⅡ(リザーブ)が所属するⅢリガ(ポーランド3部)で経験を積んだ彼は、2019年8月25日のエクストラクラサ第6節 ŁKSウッチ戦で念願のトップデビューを果たし、同試合では同点ゴールのアシストを記録するなど上々のデビュー戦となった。また、レギア・ワルシャワにおける21世紀生まれの最初のプレーヤーとなり、デビュー戦以降もコンスタントに出場機会を得ているなど質の高さを証明している。
代表歴
ポーランドU15から常に世代別代表に名を連ねており、ポーランドU17での多くの試合を経た後、2019年9月からはポーランドU19でプレーをしている。一部の試合ではキャプテンマークを着用する機会も得ている。
移籍の噂
デビューから日が経っていないことから具体的な移籍の噂は報じられていない。レギア・ワルシャワとの契約は2021年6月末までを残している。2016年にロンドンを訪れて以来、チェルシーのファンであることを公言しているため、将来的な移籍も夢の一つとして持っているはずだ。
シーズン | 移籍先 | 移籍金 |
---|---|---|
2020-21 | ブライトン | 385万ユーロ |
2020-21 | レギア・ワルシャワ | on loan |
プレースタイル
レギア・ワルシャワでのトップチームには左サイドバックの人材不足だったことで、トップチームでは主に左サイドバックで起用されている。本来は両足を器用に使えるサイドバックであるが、彼のアイドルはエンゴロ・カンテであり、数年後にはそんなカンテと同じ中盤の位置でプレーしたいとも語った。アカデミーのチームメイトは彼をカンテと同じように内向的な性格ながらダイナミックなプレーを見せることから、エンゴロとも呼んでいたそうだ。当面はポジションの変更は予想されていないが、識者の中では右足の方が強いものを持っているとされているため、現在の位置からのコンバートでさらなる真価を発揮することが期待されている。