名前 | オスカル・サンブラーノ(Óscar Zambrano) |
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生年月日 | 2004年4月20日 |
国籍/出身 | エクアドル(サント・ドミンゴ) |
身長 | 176cm |
ポジション | DMF/CMF |
所属 | LDUキト |
※Zambranoはザンブラーノとも表記される
バルセロナでのプレーを夢見るサント・ドミンゴの怪童
プレー動画
経歴
■2004-2015年(幼年期~ハイパディーダ)
エクアドル北西部、アンデス山脈の西麓に栄えているサント・ドミンゴにオスカル・サンブラーノは誕生している。家族は両親に加えて彼を含めた6人兄弟という構成であるが、低所得な環境であったことから末っ子の彼は母親(マリア・プレシアード)との2人暮らしをしていたという。家族全員がフットボール好きで兄のジェフェルソン・プレシアードは地域リーグでプレーしているなど、ボールが身近な存在であったことから1歳にして彼は蹴り始めていた。4歳になると近所のスクールに通いながらクラブキャリアをスタートしている。
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地元のコロラドスSCとアンデス大学とのプロジェクトによって発足した『コロラドス・ハイパディーダ』と呼ばれるアカデミーにて充実した時間を過ごしており、3歳上で同じくサント・ドミンゴの出身であったモイセス・カイセドとは数ヶ月間を一緒にプレーしていたなど、現在も続く友人関係はこの時から築かれていた。同プロジェクトで優秀な成績を残していた彼には11歳になると「インデペンディエンテ・デル・バジェ(通称:IDV)」と「リーガ・デポルティーバ・ウニベルシタリア(通称:LDUキト)」が関心を示しており、両クラブのトライアルを受けながらモイセス・カイセドが選択したIDVに進む道もありながらも、子供の頃から好きであった『LDUキト』に挑戦することを決断。こうしてサント・ドミンゴから首都キトでの生活が始まっている。
■2015-2023年(LDUキト)
11歳で親元を離れてプレーすることに最初の数週間は慣れずにいたが、母親から「この犠牲が必ず実を結ぶから我慢するように。」と言われたことで立ち直り、翌年の2016年にはLDUキトのU12カテゴリで23試合5得点を記録。その翌年となる2017年から2018年にかけては彼自身が最も苦しんだ時期であると語っており、パフォーマンスが思うように付いてこなかったことでLDUキトから離れることも考えていたが、カルロス・カハス(コーチ)の支えもありながらこの時期を乗り越えている。
COVID-19の影響前の2019年にはU16カテゴリに到達し、2021年シーズンよりリザーブチームでプレーするようになると、2021年9月にはパブロ・マリーニが率いるトップチームでのベンチ入りを17歳で達成。翌2022年シーズンはコパ・リベルタドーレス(U20)から始まっていたが、2022年4月にTOPチームの暫定監督としてエディソン・メンデス(U19コーチ)が就任したことで彼を取り巻く環境が一変すると、同月10日に控えるリーガプロ・エクアドル・セリエA(エクアドル1部)のクンバヤFC戦を前には「デビューする準備ができているか?」と尋ねられ、そこで彼はデビューすることを伝えられていた。
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3日前から興奮と緊張のなかで過ごし、そして迎えた試合ではダブルボランチの一角としてスターティングメンバーでのTOPデビューを達成。後半13分に途中交代で退いているが、翌節の首位バルセロナSCとの天王山では勝利に貢献するなど戦力となることを証明しており、正式な後任としてアルゼンチン人監督のルイス・スベルディアが就任後もTOPチームに帯同することを許されながら定着を実現させている。デビュー年となった2022年シーズンは最終節のCDマカラ戦で初得点を記録するなどTOPチームで17試合(1194分)の出場機会を得た。
続く2023年シーズンではLDUキトでも欠かせない戦力として定着しながら、エクアドルの世代別代表も兼任するハードなスケジュールを強いられているが、目立った負傷もなくフル稼働しながらチームを牽引。2023年10月にはコパ・リベルタドーレスに次いで南米サッカーの重要なコンペティションであるコパ・スダメリカーナでの優勝をベンチで経験するなどタイトルも獲得しており、リーグ戦でも不動ではないが安定した出場機会で経験を蓄積しているなどヨーロッパへの挑戦に向けた準備を続けているところだ。
代表歴
2019年4月からエクアドルの世代別代表でプレーしており、2023年1月には18歳ながらU20南米選手権を闘うエクアドルU20として活動。同大会では1試合を除いた8試合に出場し、U20ワールドカップで4位の成績でU20ワールドカップの出場権獲得を手にしている。続くU20ワールドカップでは全4試合でのフル出場を果たしていたが、決勝トーナメント初戦の韓国U20に敗れるなど悔しい経験となった。LDUキトでの印象的なパフォーマンスから2023年11月にエクアドル代表に初招集を受けており、同郷のモイセス・カイセドと再開しているなどエクアドルの重要な逸材として位置づけられている。
移籍の噂
TOPデビュー前の2022年2月にアヤックス(オランダ)でのテストを受けており、2022年10月にはLDUキトの内部事情からMLS(アメリカ1部)に低額で売却される報道がありながらも残留の運びとなっている。2023年夏の移籍市場から名前が浮上するようになると、夏では実現していないが2024年冬に向けてルートン・タウン(イングランド)が具体的に動いていることが報じられ、500万ポンドのオファーを提示するもLDUキトは提案を拒否している。
現在はルートンだけでなく、かつてのアヤックスやバルセロナ、マンチェスター・ユナイテッド、ウェストハム、クリスタル・パレス、ポルトなど数多のクラブから関心を持たれながら争奪戦必至の状況となっているが、彼自身はリオネル・メッシやアンドレス・イニエスタ、セルヒオ・ブスケツに強い憧れを持ち、必然的にスペインでのプレーを夢見ていることが14歳当時のインタビューから明らかになるなど有力な移籍先となっている。
プレースタイル
ハイパディーダではモイセス・カイセドと中盤を形成していたなど、常にセントラルミッドフィールダーが彼の主戦場であり、より守備的なタスクやゲームの組み立てを得意とするボランチとなっている。セルヒオ・ブスケツをお手本とするように優れたビジョンから相手の矢印を逆手に取るスキルでボールを運び、非凡なパスセンスでリズムを与えながら躍動するほか、守備では豊富な運動量と読みの鋭さでルーズボールや危険な芽を摘むなど対人戦での強さも見せている。176cm/72kgとプロフィールも含めてモイセス・カイセドとの類似性を感じさせており、サント・ドミンゴの二人がエクアドルの未来で隙のない中盤を構成することだろう。